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2015 · 09 · 09 (Wed) 14:52

□『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』"Birdman Or (The Unexpected Virtue Of Ignorance)" 2014 (Blu-ray)
 かつて『バードマン』というスーパーヒーロー映画で一世を風靡したリーガン。だがその後はヒットに恵まれず、結婚生活も失敗した。60代になった彼は、起死回生を狙い、脚本・演出・主演を務めるブロードウェイ舞台を企画する。しかしプレビュー公演の直前に俳優が怪我をし、その代役としてやってきたマイクに振り回される。(監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 出演:マイケル・キートン、ザック・ガリフィアナキス、エドワード・ノートン、エマ・ストーン、エイミー・ライアン、ナオミ・ワッツ、他)

 映画館に見に行こうと思ってて行けなかったのでした。いつの間にかアカデミー賞を獲っていたのね……。
 老境に差し掛かった俳優の存在意義を謳う映画ですけれど、俳優というのは、普通の人とはまったく違う人間なんだろうな、と思いました。いや、もちろん同じところもあるんですけど、自身の「存在」を演技やそれを元にした作品で評価されてこそ実感できるというかね──私は、俳優でないので、よくわからないのですけど。
 でも、「『何かを表現して外に出す』ということをしてないと、どうにも自分が認められない」という人のことは、ちょっとわかる。それをやっているから「何をやっても許される」という傲慢な気持ちも大なり小なり持っている(これが肥大しているのが、代役としてやってきた大物舞台俳優のマイク)。
 でもそれをしていないと、「それ以外は何もできない人間」と思うことを止められないのですよね。すなわち、「自分はダメな人間だ」と思い続ける生活をしなきゃいけない。そう考えると、俳優がいくら特殊な人だとしても、その恐怖と絶望はわかりやすい。
 つまりこれは、俳優としてというより、拠り所が一つしかないのにそれを取り上げられつつある人間が、どう自分の気持ちと折り合いをつけながら生きていくか、という物語であると言える。今はまだ才能や人気がついてくるマイクも、それがわかっていると思うんだよね。拠り所がいくつかある人は、すっぱりとあきらめて別の仕事して、それなりに幸せになったりするんだけどさ。
 映画製作に携わる人たちならば、俳優に限らずこういう気持ちは必ず持っていると思うので、そういう焦燥感がジリジリと画面ににじみ出ていました。ワンカットに見えるような撮影方法がまた効果的だった。どこまでが現実でどこからが幻覚かがわかりにくいんだよね。ただそれが「幻想的」とかそういうんじゃなくて、いい意味で(って使い方も変なんだけど)非常にストレスのかかったリーガンの心象を表していました。
 見てて思い出したのは、『ブラック・スワン』と『ダンサー・イン・ザ・ダーク』。別に似ているとかじゃないですよ。『ブラック・スワン』には演じる者の同じような業を感じた。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は、ヒロインのつらい時の妄想と、リーガンの幻覚にかつて自分が演じたスーパーヒーローが出てくるところが重なった。「自分の中だけでもせめてかっこよくありたい」という思いは、何が邪魔するのか、なんとなくダサいものになる。現実と自分の間にズレがあるのに気づいていないということなのかね──なんか切ない。
 そして、クリエイターはみんなそのことを(無意識であれ)知っているのかもしれないよね(´・ω・`)……。
(★★★★)
[Tag] * ★★★★

最終更新日 : 2015-09-09

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