2017 · 01 · 17 (Tue) 16:09 ✎
▽『夜歩く』横溝正史(角川e文庫)
私・探偵小説家の屋代寅太は、友人の仙石直記から従妹の古神八千代についての相談を受ける。去年の秋、銀座のキャバレーで傴僂の画家・蜂屋小市を撃ったのは、八千代であるというのだ。しかも、その蜂屋が八千代の家に入り込んでいるという。直記に請われて古神家を訪れた私は、直記の父・仙石鉄之進が日本刀で蜂屋を追い回しているところに出くわす。鉄之進は酒乱なのだ。直記は万一のことを考えて日本刀を金庫に隠すが、次の日、首の切られた死体が発見される。
・〈金田一耕助〉シリーズ(金田一耕助ファイル7)

私・探偵小説家の屋代寅太は、友人の仙石直記から従妹の古神八千代についての相談を受ける。去年の秋、銀座のキャバレーで傴僂の画家・蜂屋小市を撃ったのは、八千代であるというのだ。しかも、その蜂屋が八千代の家に入り込んでいるという。直記に請われて古神家を訪れた私は、直記の父・仙石鉄之進が日本刀で蜂屋を追い回しているところに出くわす。鉄之進は酒乱なのだ。直記は万一のことを考えて日本刀を金庫に隠すが、次の日、首の切られた死体が発見される。
・〈金田一耕助〉シリーズ(金田一耕助ファイル7)
読み終わっても読んだことがあったかなかったかわからない──というか、多分読んでないな。犯人に「あーなるほど」と思ったから。
そして、金田一耕助がちょっとしか出てこない(´ω`;)。しかし解決するのは彼なので、おいしいとこをかっさらっていく感じ。
ラストの清涼感はないです。かなり後味悪い読後感。イヤミス好きな方にはおすすめ。
人間関係のドロドロさ加減に横溝節炸裂です。語り手である屋代はかなり卑屈な性格だし、友だちの仙石直記はお金持ち特有の傲慢さの陰にヘタレな横顔が隠れている。八千代は美人だけど、刹那的な生き方ばかりを望む。仙石家は古神家からすると家老のような関係なんだけど、当主が亡くなっているのをいいことに直記の父は八千代の母と夫婦同然の生活をしている。しかも、八千代は仙石の子供──つまり直記と八千代は異母兄妹ではないかと言われている。蜂屋はこの上なく皮肉屋で露悪趣味だし、八千代の兄・守衛も傴僂でひきこもり──という……感情移入できるようなキャラがいないよ(´∀ `;)。
あまりにもストレスフルな環境なので、八千代や仙石に夢遊病が現れる。この病気は多大なストレスによって引き起こされると言われているので、むべなるかなですな。
ミステリのトリックとしては「首のない死体」ということになります。傴僂でなおかつ姿形が似ている蜂屋あるいは守衛がまず殺されてしまう。いや、首が見つかったのは守衛なので、蜂屋はおそらく逃げているわけです。途中から舞台は東京から岡山へ移るのですが(ここでようやく金田一耕助が登場)、そこでも蜂屋の影に「私」と直記たちは怯える。そして、夢遊病で山の中の滝へ向かった八千代が首を切られた死体で発見される──。
トリック的に現代ではちょっと無理があるところが惜しいというか──作品によっては全然気にならないものもあるんだけど、これは気になってしまった。通用するかしないかじゃなくて、小説として入り込めない要素になるかどうかなんだよねえ。誰にも感情移入ができなかったからだろうか。それとも、金田一耕助が添え物程度にしか出てこないからだろうか?
でも、横溝正史の小説で感情移入できるキャラなんて、はっきり言ってほとんどいないんだけどね(´ω`;)。まともな人が誰もいなかったからかなあ。たった一人でもまともな人がいると、その人の気持ちを追って読んでいるような気がするよ。そのわずかなまともな人が、清涼感を生む気がするなあ。
(★★★☆)
そして、金田一耕助がちょっとしか出てこない(´ω`;)。しかし解決するのは彼なので、おいしいとこをかっさらっていく感じ。
ラストの清涼感はないです。かなり後味悪い読後感。イヤミス好きな方にはおすすめ。
人間関係のドロドロさ加減に横溝節炸裂です。語り手である屋代はかなり卑屈な性格だし、友だちの仙石直記はお金持ち特有の傲慢さの陰にヘタレな横顔が隠れている。八千代は美人だけど、刹那的な生き方ばかりを望む。仙石家は古神家からすると家老のような関係なんだけど、当主が亡くなっているのをいいことに直記の父は八千代の母と夫婦同然の生活をしている。しかも、八千代は仙石の子供──つまり直記と八千代は異母兄妹ではないかと言われている。蜂屋はこの上なく皮肉屋で露悪趣味だし、八千代の兄・守衛も傴僂でひきこもり──という……感情移入できるようなキャラがいないよ(´∀ `;)。
あまりにもストレスフルな環境なので、八千代や仙石に夢遊病が現れる。この病気は多大なストレスによって引き起こされると言われているので、むべなるかなですな。
ミステリのトリックとしては「首のない死体」ということになります。傴僂でなおかつ姿形が似ている蜂屋あるいは守衛がまず殺されてしまう。いや、首が見つかったのは守衛なので、蜂屋はおそらく逃げているわけです。途中から舞台は東京から岡山へ移るのですが(ここでようやく金田一耕助が登場)、そこでも蜂屋の影に「私」と直記たちは怯える。そして、夢遊病で山の中の滝へ向かった八千代が首を切られた死体で発見される──。
トリック的に現代ではちょっと無理があるところが惜しいというか──作品によっては全然気にならないものもあるんだけど、これは気になってしまった。通用するかしないかじゃなくて、小説として入り込めない要素になるかどうかなんだよねえ。誰にも感情移入ができなかったからだろうか。それとも、金田一耕助が添え物程度にしか出てこないからだろうか?
でも、横溝正史の小説で感情移入できるキャラなんて、はっきり言ってほとんどいないんだけどね(´ω`;)。まともな人が誰もいなかったからかなあ。たった一人でもまともな人がいると、その人の気持ちを追って読んでいるような気がするよ。そのわずかなまともな人が、清涼感を生む気がするなあ。
(★★★☆)
最終更新日 : 2021-03-14