Top Page › 読書の感想 › ポール・ギャリコ › ◆『七つの人形の恋物語』ポール・ギャリコ

2017 · 09 · 12 (Tue) 12:58

◆『七つの人形の恋物語』ポール・ギャリコ

◆『七つの人形の恋物語』ポール・ギャリコ(角川文庫)
 お金も家も仕事もない少女ムーシュは、絶望のあまりセーヌ川に身を投げようとしていた。その時、声をかけてくれたのは、赤毛の少年の人形だった。ムーシュはキャプテン・コック率いる人形一座に加わり、七つの人形たちとともに愛と笑いに満ちた舞台を観客に提供する。しかしその人形を操るキャプテン・コックは、冷酷で非情な男だった(表題作)。他、『スノーグース』収録。("Love Of Seven Dolls" by Paul Gallico, 1954)

 8月中に更新したかったのに、全然読めず──やっと(´・ω・`)。
『スノーグース』が収録されているもう一つの文庫です。私は高校時代に買って読んでいました。金子國義さんの表紙がとても印象的だった。友だちに貸したまま戻ってこなくなったけど、2008年に復刊されました。同じく金子國義さんの表紙です(違う絵だけど)。映画や舞台にもなっているけど、私はいまだこの原作しか読んだことないのよね……。
 高校時代、復刊された時、そして今回と読んできたのですけれど、『スノーグース』がまったく印象が変わらないのとは対象的に、この作品は読むたびに違う。高校時代は、「究極の愛の物語だ!」と感動し、復刊時はその印象との比較ばかりの記憶が残り、今回ようやくちゃんと読めたかもしれない。
 実は今回、読む前にAmazonのレビューをのぞいたりしたのですよ。そしたら、「DV男の話じゃねえか」みたいなことが書いてあって、「あー、まあそうだよね(´-ω-`)」と思ったわけです。キャプテン・コックことミシェルという男はほんとにひどい。ムーシュに対してもだけど、雑用係兼ギター奏者として雇っている黒人の老人ゴーロに対してもひどい。
 でも、このミシェルという男は、非常に複雑で歪んでいる。ムーシュの純真さを憎み、その無邪気さを地に堕としたい、といつも思い、夜になるとそれを実行に移すのですが、昼間人形を操っていると、それとは逆なことばかりをしてしまう。前夜、彼女にひどい目を遭わせた時は、沈んでいる彼女を慰め、笑顔を引き出す。プレゼントを贈ったりもするんだけど、それよりも、ムーシュの地に堕ち踏みにじられた純真さを人形たちとの会話で再び取り戻させてやるのです。アンデルセンの『沼の王の娘』を思い出した。昼間は邪悪で美しい娘、夜は清らかな心を持つヒキガエル。ヒキガエルじゃないけど、自分の顔はさらせないんだよね。
 二人にとっては内心修羅場なはずなのに、いったん幕が上がるとそんなつらいことなんてまるでなくなって、いつの間にか人形たちが勝手にしゃべり出す。ムーシュがそれに思いのまま答えていく、というその即興芝居に道端の人々が見入り、人だかりができ、評判を呼び、次第に彼らは有名になっていく。
 ある意味、多重人格ものであると言える。生い立ちからして、そこまで歪むことも無理ない一生を彼は送ってきた。外に出せるのは冷酷な一面だけで、それを頼りに生きてきたし、それを手放すのは怖いわけです。だから、折り合いのつかない他の部分は、人形で表現する。優しさや思慮深さ、思いやりの深さ、子供のような無邪気さや若さゆえの浮ついた気持ち、おせっかいなところ、そして何より、今まで一度も与えられたことのない愛を求める気持ちなど、彼が世間を渡っていくには不要でしかない部分だったのです。
 ムーシュは、自分のそのいらない部分を刺激し、混乱させる。だからミシェルは、彼女の崇高さを自分と同様に堕としたい、と願ってひどい目に遭わせるのです。
 ロマンス小説のセオリーどおりだな、と思いました。いつもの自分ではいられなくなり、混乱させるヒロインを罵倒し踏みにじる──ムーシュはドアマットヒロインそのものです。ダイアナ・パーマーかよ(´ω`;)。
 ゴーロにしたって、ミシェルの扱いはひどいけど、捕虜収容所で出会った身寄りのないゴーロを雇っている、という経緯がある。それをゴーロもわかっていて、ミシェルに感謝もしているはず。でも、ミシェルを救うのは自分ではない、ということも知っている。
 後半、ムーシュは興行で知り合った若い軽業師の男にプロポーズされて、人形一座を辞めることになる。この軽業師が文字通り軽くて(´д`;)。そりゃ今までの扱いと比べりゃどの男も優しいだろうよ、という奴だった。悪い人ではないけど、自分のことしか考えていない男の子なんだよね。ムーシュは、そういう「お母さん」を求めている男にひっかかりがちな女の子であることがわかる。
 もちろんムーシュはミシェルを選ぶんだけど、それはお母さん的ななんでも受け入れてくれる女だからではなく、彼が変わろうとしたからに他ならない。若干死ぬ死ぬ詐欺的なラストではあるけれど、どちらにしてもムーシュがいなければ彼は人形芝居はできなくなる。相手役がいないというだけでなく、人形に投影していた自分が葬っていた部分は、本当にいらないものだった、としか思えなくなるから。捧げたいただ一人の相手であったムーシュがいないんだから。
 その彼女が戻ってきてくれて、まさに陥落をしてしまうわけです。
 人形でしか本音を言えない男というのは割と危ない奴にも見えるのですが、芸術家というのは往々にしてこんな感じですし。恋したというのももちろんあるけれど、同じくらいミシェルにとって大事だったのは、ムーシュが彼の芸の最大の理解者である、というところなのでしょう。
(★★★★★)

最終更新日 : 2017-10-07

Comments







非公開コメント