2018 · 07 · 30 (Mon) 09:30 ✎
◆『渚のノクターン』シャーロット・ラム(ハーレクイン)
歌手のセリーナは、16歳の時にデビューしたクラブで今日も歌っている。けれど内心は大きなショックを抱えていた。今朝、三年前に離婚した夫アシュレイが飛行機事故で死んだという新聞記事を読んだからだ。それでも歌うセリーナの目に、アシュレイの姿が飛び込んできた。観客の中から鋭い視線をこっちに向けている。セリーナは声もたてずに床に倒れた。("The Long Surrender" by Charlotte Lamb, 1980)
歌手のセリーナは、16歳の時にデビューしたクラブで今日も歌っている。けれど内心は大きなショックを抱えていた。今朝、三年前に離婚した夫アシュレイが飛行機事故で死んだという新聞記事を読んだからだ。それでも歌うセリーナの目に、アシュレイの姿が飛び込んできた。観客の中から鋭い視線をこっちに向けている。セリーナは声もたてずに床に倒れた。("The Long Surrender" by Charlotte Lamb, 1980)
タイトルからリチャード・クレイダーマン(『渚のアデリーヌ』)とかポール・モーリア(『蒼いノクターン』『渚のプレリュード』)などの穏やかなイージーリスニングを連想して読み始めたらとんでもない(´Д`;)! 度を越した嫉妬に狂いまくるヤンデレヒーローと、DVやらレイプ未遂被害やら裁判でのセカンドレイプやら何一ついいことのなかった子供時代を過ごしたヒロインのホラーじみたお話でした。
ハーレクイン・ロマンスというのは、時代によって女性がどう思われていたのか、どう扱われたのかというのがよくわかる構造になっています。今のハーレは多分、かなり変わっているとは思うけど、1980年当時のイギリス──今から38年前は、こうだったわけです。つまり、16歳の女子高生が義父からレイプ未遂の被害を受け、裁判やるのはいいんだけど弁護士の尋問でひどい目に合い、母を亡くして弟を養うためにはナイトクラブで歌う選択しかできないという……。もちろんフィクションとしての設定であるとはわかっていますが、とにかくヒロイン・セリーナの周りには誰もちゃんとした人がいない。特に男ね。女性は死んだ母親以外、仲のいい人は出てこない。友だちもいない。そんな中、彼女はひとりぼっちで弟を育ててきたのに、その弟はギャンブル狂いのクズに成長してしまう。
弟に泣きつかれるとついお金をあげてしまう自分を責めるセリーナに最初はイライラしたのですが、よくよく考えると彼女自身まったくの子供なんですよね。16歳以前から苦労していて、大人になろうにもその「まともな大人」が周囲にまったくいないという環境で育っている。そんな子供が子供を育てたって「まとも」になるはずもない。それすらもわからないくらい子供のままなのです。
しかし彼女はとても美しく、とにかく男にモテてしまう。それがまた女友だちがいない原因かもしれないと思ったり。そういう人、いるよね。魔性の女というか、無意識に男を狂わせる女。東村アキコの『主に泣いてます』のヒロインみたいな人。困ったことがあっても、女性が手を差し伸べるより早く男が面倒を見てしまう、と推測されるよ。でもその男たちの誰一人、彼女のことを心から思いやってくれる人はいない。ヒーローのアシュレイですら(搭乗をキャンセルしてて生きてた)。
本当に愛していて、彼女のことを第一に考えているのなら、さんざんひどい目にあったことを慮って、セックスに対する恐怖やフラッシュバックなども専門家に相談するとか(本人が拒否するのならそれを説得することも含めて)、もっとリラックスできる環境を作ってあげるとか、学校に通わせてあげるとか、仕事を応援してあげるとか、我慢強く粘り強く彼女の信頼を獲得するため努力するとか──そういうことは一切できないわけです。
「俺をこんなに狂わせて! みんなお前が美しいせいだ(゚Д゚)ゴルァ!!」
とひたすら責めて、我慢できない欲望を彼女にぶつけて再婚させて束縛しようとするだけ。初めから終わりまでそう。後半、「触らないように我慢してた」とかほざいてましたけど、口でモラハラ三昧(「お前は奴隷だ」「家から出るな」とか)ですから、全然ダメだけどな(゚д゚)!
だから、ラストで「愛してる」と言い合ったらオールオーケーみたいな展開は、あまりにも空々しい。まったく説得力ないですよ。当時のロマンスであれば、こういう苛烈な状況が物語のアクセントとして許されていたというか、流行りであったんだと思うんですが、今では無理だよなあ(´ω`;)。やはり「思いやりを持てないこと≒激しい恋に落ちている」という様式はもう、古いものになっているね。
ヤンデレ好きな私としては、離婚してから三年間(この離婚の原因になった出来事もアホっぽい)、ずっと監視していて隠し撮りとか山ほどしてて──というのは、ロマンスというファンタジーとしてよくできていればなかなか萌える設定なのですが、さすがの私もこの作品はドン引きです。後半になればなるほど、次第に怖くなってくる。これはもう、ホラーだな──こんな一節をラストにつけ加えれば。
次の朝、目覚めたセリーナがキッチンへ行くと、ストウが朝食の準備をしていた。
「おはよう。旦那さまはどこ?」
「旦那さま?」
ストウは首をかしげる。
「セリーナさま、昨夜はどなたもいらっしゃいませんでした」
そう言われて、今度はセリーナが首をかしげる。テーブルの上の新聞が目に入った。
“ペルー山中での旅客機墜落事故、死亡した乗客全員の身元判明”
アシュレイの写真が載っている。セリーナは声もたてずに床に倒れた。
それまでの物語は夫が死んだことを受け入れられないセリーナの妄想ということにすれば、良質なホラー小説のできあがりです。
[8/2追記]
ラストが空々しく、違和感もあったのですが、それはおそらく、セリーナが子供のまま終わってしまったから。大人への成長の気配もなく、心が16歳のまま狂った大人に囚われるような──結局のところ、愛というより共依存関係になってしまった、という非常に不健全な終わり方に、私はホラーを感じました。もちろん意図して不健全な終わり方にするのは大いにアリなのですが(むしろ好き)、これは意図されてないと思う。その安易な幕切れにもがっかりしてしまったのでした(´・ω・`)。
(★★☆)
ハーレクイン・ロマンスというのは、時代によって女性がどう思われていたのか、どう扱われたのかというのがよくわかる構造になっています。今のハーレは多分、かなり変わっているとは思うけど、1980年当時のイギリス──今から38年前は、こうだったわけです。つまり、16歳の女子高生が義父からレイプ未遂の被害を受け、裁判やるのはいいんだけど弁護士の尋問でひどい目に合い、母を亡くして弟を養うためにはナイトクラブで歌う選択しかできないという……。もちろんフィクションとしての設定であるとはわかっていますが、とにかくヒロイン・セリーナの周りには誰もちゃんとした人がいない。特に男ね。女性は死んだ母親以外、仲のいい人は出てこない。友だちもいない。そんな中、彼女はひとりぼっちで弟を育ててきたのに、その弟はギャンブル狂いのクズに成長してしまう。
弟に泣きつかれるとついお金をあげてしまう自分を責めるセリーナに最初はイライラしたのですが、よくよく考えると彼女自身まったくの子供なんですよね。16歳以前から苦労していて、大人になろうにもその「まともな大人」が周囲にまったくいないという環境で育っている。そんな子供が子供を育てたって「まとも」になるはずもない。それすらもわからないくらい子供のままなのです。
しかし彼女はとても美しく、とにかく男にモテてしまう。それがまた女友だちがいない原因かもしれないと思ったり。そういう人、いるよね。魔性の女というか、無意識に男を狂わせる女。東村アキコの『主に泣いてます』のヒロインみたいな人。困ったことがあっても、女性が手を差し伸べるより早く男が面倒を見てしまう、と推測されるよ。でもその男たちの誰一人、彼女のことを心から思いやってくれる人はいない。ヒーローのアシュレイですら(搭乗をキャンセルしてて生きてた)。
本当に愛していて、彼女のことを第一に考えているのなら、さんざんひどい目にあったことを慮って、セックスに対する恐怖やフラッシュバックなども専門家に相談するとか(本人が拒否するのならそれを説得することも含めて)、もっとリラックスできる環境を作ってあげるとか、学校に通わせてあげるとか、仕事を応援してあげるとか、我慢強く粘り強く彼女の信頼を獲得するため努力するとか──そういうことは一切できないわけです。
「俺をこんなに狂わせて! みんなお前が美しいせいだ(゚Д゚)ゴルァ!!」
とひたすら責めて、我慢できない欲望を彼女にぶつけて再婚させて束縛しようとするだけ。初めから終わりまでそう。後半、「触らないように我慢してた」とかほざいてましたけど、口でモラハラ三昧(「お前は奴隷だ」「家から出るな」とか)ですから、全然ダメだけどな(゚д゚)!
だから、ラストで「愛してる」と言い合ったらオールオーケーみたいな展開は、あまりにも空々しい。まったく説得力ないですよ。当時のロマンスであれば、こういう苛烈な状況が物語のアクセントとして許されていたというか、流行りであったんだと思うんですが、今では無理だよなあ(´ω`;)。やはり「思いやりを持てないこと≒激しい恋に落ちている」という様式はもう、古いものになっているね。
ヤンデレ好きな私としては、離婚してから三年間(この離婚の原因になった出来事もアホっぽい)、ずっと監視していて隠し撮りとか山ほどしてて──というのは、ロマンスというファンタジーとしてよくできていればなかなか萌える設定なのですが、さすがの私もこの作品はドン引きです。後半になればなるほど、次第に怖くなってくる。これはもう、ホラーだな──こんな一節をラストにつけ加えれば。
次の朝、目覚めたセリーナがキッチンへ行くと、ストウが朝食の準備をしていた。
「おはよう。旦那さまはどこ?」
「旦那さま?」
ストウは首をかしげる。
「セリーナさま、昨夜はどなたもいらっしゃいませんでした」
そう言われて、今度はセリーナが首をかしげる。テーブルの上の新聞が目に入った。
“ペルー山中での旅客機墜落事故、死亡した乗客全員の身元判明”
アシュレイの写真が載っている。セリーナは声もたてずに床に倒れた。
それまでの物語は夫が死んだことを受け入れられないセリーナの妄想ということにすれば、良質なホラー小説のできあがりです。
[8/2追記]
ラストが空々しく、違和感もあったのですが、それはおそらく、セリーナが子供のまま終わってしまったから。大人への成長の気配もなく、心が16歳のまま狂った大人に囚われるような──結局のところ、愛というより共依存関係になってしまった、という非常に不健全な終わり方に、私はホラーを感じました。もちろん意図して不健全な終わり方にするのは大いにアリなのですが(むしろ好き)、これは意図されてないと思う。その安易な幕切れにもがっかりしてしまったのでした(´・ω・`)。
(★★☆)
最終更新日 : 2018-08-02