2019 · 04 · 16 (Tue) 21:29 ✎
▼『レベッカ』ダフネ・デュ・モーリア(新潮文庫)
21歳の「わたし」はモンテカルロでイギリスの紳士マキシム・デ・ウィンターと出会う。彼はマンダレイという有名な領地に住んでいる。そこにある屋敷は、子供時代のわたしのあこがれだった。マキシムとわたしは結婚し、マンダレイへ戻ることになるが、そこには彼が一年前に亡くした妻レベッカの痕跡がそこかしこに残っていた。("Rebecca" by Daphne Du Maurier, 1938)
※『ジェイン・エア』のネタバレも含まれます。
21歳の「わたし」はモンテカルロでイギリスの紳士マキシム・デ・ウィンターと出会う。彼はマンダレイという有名な領地に住んでいる。そこにある屋敷は、子供時代のわたしのあこがれだった。マキシムとわたしは結婚し、マンダレイへ戻ることになるが、そこには彼が一年前に亡くした妻レベッカの痕跡がそこかしこに残っていた。("Rebecca" by Daphne Du Maurier, 1938)
※『ジェイン・エア』のネタバレも含まれます。
昨夜、寝る前に読み終わり──ラストに衝撃を受けて眠りに落ち、朝起きたらノートルダム大聖堂の火災のニュースが……。
マンダレイも、こんなふうだったのか、とさらなる衝撃を受けました。
そうなのです。のっけからネタバレですみません。マンダレイはこの作品の本当の主役です。お屋敷、領地、両方ひっくるめた印象で使われています。森や川や谷、海岸に入江まである広大な土地です。有名な書き出し、
「昨夜、わたしはまたマンダレイへ行った夢を見た」
のように、「わたし」(名無しのヒロイン)はもうマンダレイにはいない。彼女が思い出すマンダレイの描写から、屋敷は廃墟のようになっているらしく、おそらくは火事で焼け落ちたのではないか、と思われる。だから、ある意味ネタバレではないんですけど、そのラストの見せ方がね──すごく衝撃的なのですよ。
ヒロインは若く、素直で知性もあるが、お金はなく、アメリカの金持ち婦人に雇われ付き添いをしています。婦人と一緒に訪れたモンテカルロで出会ったのが、マンダレイという有名な領地(観光客に見学させていたりするほど)の持ち主、マキシム。二十歳ほど年上なのですが、二人は結婚しマンダレイへ戻る。そこで出迎えたのは家事を取り仕切るデンヴァース夫人。彼女は実は、約一年前に亡くなったマキシムの美貌の妻レベッカとともにマンダレイへやってきて、レベッカこそ絶対と思っている人。ヒロインのような小娘がこのマンダレイの女主人におさまるなど、本当は認めていないのですよね。
屋敷や領地のそこここにレベッカの痕跡があり、自分やマキシムの愛に自信のないヒロインは、レベッカと自分を比較して次第に追い詰められていく──。
私、これ再読ではなく初読なのです。ずっとずっと、二十代、いやなんなら十代の頃くらいから読もうと思っていた。ヴィクトリア・ホルトや横溝正史などのゴシックロマンものを読むたびにも「あー、『レベッカ』読まないとなー」と思っていたんだけど、ようやく読めました。現在は新訳で再刊されていますが、私が読んだのは旧訳の古本です。実は、何度も何度も頭のところを読んでは他の本に行っちゃったりしていたのですが(長いのでね(´・ω・`))、そこから少し読み進めるとあとは一気に読めました。ほんと一気読みでしたよ……。
ヴィクトリア・ホルトのある小説を読んだ時に、
「『ジェイン・エア』にミステリー要素を加えたもの」
と表現したんですけど、この『レベッカ』こそその元祖だったんだな、と思いました。これはもうネタバレしないで説明できないので言いますけど、「ヒーローの妻の存在」がヒロインに不安や不穏を感じさせる、という物語なのですよ。『ジェイン・エア』の場合は生きている妻(屋敷に隔離された病気の妻)なんですが、『レベッカ』は「死んだ妻」。ここが大きな違いなんだけど、エンタメ小説的には天文学的な差だな、と思いました。「死んだ者の存在感」をこんな不気味に、サスペンスフルに生き生きと(死んでるけど)描いて、しかもそのレベッカが魅力的でもあり、悪魔的でもあり──キャラクターとしての存在感が一級品なのですよね。一度も出てこないというのがまたすごい!
じゃあ、ヒロインの存在感が薄いかというとそういうわけでもない。でもこの作品の場合、彼女のキャラというより、その感受性の強さ(絵を描く人なので)による想像の拍車のかかり具合がものすごい。一つ不安が生まれると、自分でどんどんふくらませてしまう。そんなこと考えない人の方が楽に生きられるだろうに、というような人なんだけど、楽に生きられそうな人の代表としてマキシムの姉ベアトリスが出てくるのですよね。優しくていい人だけど、想像力が少々足りない人とマキシムは反りが合わない。だから、繊細なヒロインと結婚してしまうんだよね。
このマキシムにしても『ジェイン・エア』のロチェスターにしても、自分の後ろ暗さを隠して若い娘と結婚してしまう中年男ってどうなんだ、と今回思いました。ロチェスターは妻ある身でジェインと結婚するし、マキシムなんてもっとひどいよ、だってレベッカをほんとに殺してるんだもんね(゚д゚)!
とはいえ、今までさんざ苦労をして、「もう俺はこのまま一生過ごすしかないのか」と絶望した状態からヒロインに出会い、「もしかしてこれを隠し通せば幸せに暮らせるかもしれない」と一瞬でも思ってしまう気持ちはわかる。人間だもの。でも、巻き込まれたヒロインは──まあ、『ジェイン・エア』はハッピーエンドですけど、『レベッカ』はとてもそうとは言えない。後味はかなり悪いですよー(´ω`;)。
彼はレベッカを殺したあと、小舟にその死体を隠し、入江に沈めてしまう。数週間後、離れた海岸で女性の死体が見つかるが、顔がひどく損傷し、身元を証明するものも身に着けていなかった。マキシムはそれをレベッカの死体と証言して、マンダレイに埋葬する。が、入江で難破船が座礁したことをきっかけに小舟が発見され、埋葬した死体がレベッカではなかったというのがバレてしまう。今だともちろん通用しないことだけど、戦前の話ですからね。
そのあとの審問で殺人の疑いが出てくるが、結局「自殺」ということで片づいた──と思いきや、レベッカの従兄ファヴェルが「レベッカは殺された、殺したのはマキシムだ」と言い出して──と展開していきます。
レベッカがなぜ殺されたのか、というのは、つまり彼女が今でいうところのサイコパスだったからです。自分の欲望を達成するため、とても魅力的に振る舞って、味方を増やしていく。マキシムなどごくわずかな身近な人には悪魔的な所業を行い、でもそれを証明しようにも誰からも信じてもらえないという状況を巧みに作って、自分の周囲を操っていく。それに追い詰められたマキシムが思い余って殺してしまう。
レベッカの真意は、結局のところわからずじまいです。しかし、ファヴェルの疑いを証明してくれそうな医師を訪ねるくだりで明かされる事実が、また邪悪なんですよ。彼女はマキシムを愛していなかった。ていうか、デンヴァース夫人の言葉を借りれば、
「だれも愛してはいらっしゃいませんでした」
彼女は自分しか愛していなかった。でもたった一つだけ、自分以外に愛していたものはあったはず。
それはおそらく、マンダレイだったのではないかと。だから、あんなことをしたのではないか。
ラストシーンには、レベッカの高笑いとともに、こんな言葉が響くようでした。
「マンダレイはあたくしのものよ! あたくしだけのものよー!!」
ヒロインはもちろん、土地の管理人であるフランクや、行政長官であるジュリアン大佐にしても、おそらくレベッカが性悪であるとはわかっている。もっと言えば、「死んでよかった」とすら思っているかもしれない。だからと言って、殺したマキシムの苦しみが消えるわけではないし、マンダレイも燃えてしまった。
ラストまで読んで、もう一度オープニングを読み返すと、その荒涼とした冷酷な現実にぞっとするばかりです。
新訳は読んでいないのですが、旧訳は名訳として知られています。ただ用語はかなりクラシック。スーツは「背広」、ジャケットは「ジャケツ」、コルクは「キルク」、オレンジは「みかん」とか、このくらいは容易に理解できますが、「軽焼せんべい」って? 「パン粉の菓子」って? ──と思ったら、これ「クランペット」と「ケーキ」らしいですよ(´ω`;)。いつ訳されたものなんでしょうかね……文庫の奥付は、1971年になってますが。「ジャケツ」なんてうちの亡き祖母からしか聞いたことないよ……。
とはいえこの名訳の真髄は、なんといってもマンダレイの描写です。特に屋敷を取り巻く自然は圧巻の素晴らしさ。レベッカの部屋に迷い込んだヒロインが海の音を聞くシーンが好き。
「海はわたしが考えていたよりも、もっと近かった。ずっと近かった。波は芝生の下の小さな林のところまで押しよせていた。せいぜい五分くらいの距離だった。(中略)ここからは海の音が聞こえた。冬になると、波が緑の芝生のあたりまで押しよせてきて、建物すら洗いかねないに相違ない」
厳しい自然の中にぽつんと建っているマンダレイの屋敷が頭の中に忽然と湧いてくる。これが、この場所が本当の主人公なんだ、と思う瞬間です。
ヒッチコックが映画化したものは見た、と思い込んでいたんだけど、原作読んで「見てないな(´-ω-`)」と思い直しました。見たくなったなー。
['20/11/13追記]
ヒッチコックの映画も、Netflixオリジナル新作映画も見ました。
それらを見て気づいたことですが、原作ではマンダレイがどうして燃えたのか、書かれていないのですよね。だからこそあの容赦ないラストの切れ味がある。映画でそれがどう描かれたのかは、ぜひ見て確かめてください。「燃え盛るマンダレイ」の鮮烈さは、映像ならではだな、と思います。
(★★★★☆)
マンダレイも、こんなふうだったのか、とさらなる衝撃を受けました。
そうなのです。のっけからネタバレですみません。マンダレイはこの作品の本当の主役です。お屋敷、領地、両方ひっくるめた印象で使われています。森や川や谷、海岸に入江まである広大な土地です。有名な書き出し、
「昨夜、わたしはまたマンダレイへ行った夢を見た」
のように、「わたし」(名無しのヒロイン)はもうマンダレイにはいない。彼女が思い出すマンダレイの描写から、屋敷は廃墟のようになっているらしく、おそらくは火事で焼け落ちたのではないか、と思われる。だから、ある意味ネタバレではないんですけど、そのラストの見せ方がね──すごく衝撃的なのですよ。
ヒロインは若く、素直で知性もあるが、お金はなく、アメリカの金持ち婦人に雇われ付き添いをしています。婦人と一緒に訪れたモンテカルロで出会ったのが、マンダレイという有名な領地(観光客に見学させていたりするほど)の持ち主、マキシム。二十歳ほど年上なのですが、二人は結婚しマンダレイへ戻る。そこで出迎えたのは家事を取り仕切るデンヴァース夫人。彼女は実は、約一年前に亡くなったマキシムの美貌の妻レベッカとともにマンダレイへやってきて、レベッカこそ絶対と思っている人。ヒロインのような小娘がこのマンダレイの女主人におさまるなど、本当は認めていないのですよね。
屋敷や領地のそこここにレベッカの痕跡があり、自分やマキシムの愛に自信のないヒロインは、レベッカと自分を比較して次第に追い詰められていく──。
私、これ再読ではなく初読なのです。ずっとずっと、二十代、いやなんなら十代の頃くらいから読もうと思っていた。ヴィクトリア・ホルトや横溝正史などのゴシックロマンものを読むたびにも「あー、『レベッカ』読まないとなー」と思っていたんだけど、ようやく読めました。現在は新訳で再刊されていますが、私が読んだのは旧訳の古本です。実は、何度も何度も頭のところを読んでは他の本に行っちゃったりしていたのですが(長いのでね(´・ω・`))、そこから少し読み進めるとあとは一気に読めました。ほんと一気読みでしたよ……。
ヴィクトリア・ホルトのある小説を読んだ時に、
「『ジェイン・エア』にミステリー要素を加えたもの」
と表現したんですけど、この『レベッカ』こそその元祖だったんだな、と思いました。これはもうネタバレしないで説明できないので言いますけど、「ヒーローの妻の存在」がヒロインに不安や不穏を感じさせる、という物語なのですよ。『ジェイン・エア』の場合は生きている妻(屋敷に隔離された病気の妻)なんですが、『レベッカ』は「死んだ妻」。ここが大きな違いなんだけど、エンタメ小説的には天文学的な差だな、と思いました。「死んだ者の存在感」をこんな不気味に、サスペンスフルに生き生きと(死んでるけど)描いて、しかもそのレベッカが魅力的でもあり、悪魔的でもあり──キャラクターとしての存在感が一級品なのですよね。一度も出てこないというのがまたすごい!
じゃあ、ヒロインの存在感が薄いかというとそういうわけでもない。でもこの作品の場合、彼女のキャラというより、その感受性の強さ(絵を描く人なので)による想像の拍車のかかり具合がものすごい。一つ不安が生まれると、自分でどんどんふくらませてしまう。そんなこと考えない人の方が楽に生きられるだろうに、というような人なんだけど、楽に生きられそうな人の代表としてマキシムの姉ベアトリスが出てくるのですよね。優しくていい人だけど、想像力が少々足りない人とマキシムは反りが合わない。だから、繊細なヒロインと結婚してしまうんだよね。
このマキシムにしても『ジェイン・エア』のロチェスターにしても、自分の後ろ暗さを隠して若い娘と結婚してしまう中年男ってどうなんだ、と今回思いました。ロチェスターは妻ある身でジェインと結婚するし、マキシムなんてもっとひどいよ、だってレベッカをほんとに殺してるんだもんね(゚д゚)!
とはいえ、今までさんざ苦労をして、「もう俺はこのまま一生過ごすしかないのか」と絶望した状態からヒロインに出会い、「もしかしてこれを隠し通せば幸せに暮らせるかもしれない」と一瞬でも思ってしまう気持ちはわかる。人間だもの。でも、巻き込まれたヒロインは──まあ、『ジェイン・エア』はハッピーエンドですけど、『レベッカ』はとてもそうとは言えない。後味はかなり悪いですよー(´ω`;)。
彼はレベッカを殺したあと、小舟にその死体を隠し、入江に沈めてしまう。数週間後、離れた海岸で女性の死体が見つかるが、顔がひどく損傷し、身元を証明するものも身に着けていなかった。マキシムはそれをレベッカの死体と証言して、マンダレイに埋葬する。が、入江で難破船が座礁したことをきっかけに小舟が発見され、埋葬した死体がレベッカではなかったというのがバレてしまう。今だともちろん通用しないことだけど、戦前の話ですからね。
そのあとの審問で殺人の疑いが出てくるが、結局「自殺」ということで片づいた──と思いきや、レベッカの従兄ファヴェルが「レベッカは殺された、殺したのはマキシムだ」と言い出して──と展開していきます。
レベッカがなぜ殺されたのか、というのは、つまり彼女が今でいうところのサイコパスだったからです。自分の欲望を達成するため、とても魅力的に振る舞って、味方を増やしていく。マキシムなどごくわずかな身近な人には悪魔的な所業を行い、でもそれを証明しようにも誰からも信じてもらえないという状況を巧みに作って、自分の周囲を操っていく。それに追い詰められたマキシムが思い余って殺してしまう。
レベッカの真意は、結局のところわからずじまいです。しかし、ファヴェルの疑いを証明してくれそうな医師を訪ねるくだりで明かされる事実が、また邪悪なんですよ。彼女はマキシムを愛していなかった。ていうか、デンヴァース夫人の言葉を借りれば、
「だれも愛してはいらっしゃいませんでした」
彼女は自分しか愛していなかった。でもたった一つだけ、自分以外に愛していたものはあったはず。
それはおそらく、マンダレイだったのではないかと。だから、あんなことをしたのではないか。
ラストシーンには、レベッカの高笑いとともに、こんな言葉が響くようでした。
「マンダレイはあたくしのものよ! あたくしだけのものよー!!」
ヒロインはもちろん、土地の管理人であるフランクや、行政長官であるジュリアン大佐にしても、おそらくレベッカが性悪であるとはわかっている。もっと言えば、「死んでよかった」とすら思っているかもしれない。だからと言って、殺したマキシムの苦しみが消えるわけではないし、マンダレイも燃えてしまった。
ラストまで読んで、もう一度オープニングを読み返すと、その荒涼とした冷酷な現実にぞっとするばかりです。
新訳は読んでいないのですが、旧訳は名訳として知られています。ただ用語はかなりクラシック。スーツは「背広」、ジャケットは「ジャケツ」、コルクは「キルク」、オレンジは「みかん」とか、このくらいは容易に理解できますが、「軽焼せんべい」って? 「パン粉の菓子」って? ──と思ったら、これ「クランペット」と「ケーキ」らしいですよ(´ω`;)。いつ訳されたものなんでしょうかね……文庫の奥付は、1971年になってますが。「ジャケツ」なんてうちの亡き祖母からしか聞いたことないよ……。
とはいえこの名訳の真髄は、なんといってもマンダレイの描写です。特に屋敷を取り巻く自然は圧巻の素晴らしさ。レベッカの部屋に迷い込んだヒロインが海の音を聞くシーンが好き。
「海はわたしが考えていたよりも、もっと近かった。ずっと近かった。波は芝生の下の小さな林のところまで押しよせていた。せいぜい五分くらいの距離だった。(中略)ここからは海の音が聞こえた。冬になると、波が緑の芝生のあたりまで押しよせてきて、建物すら洗いかねないに相違ない」
厳しい自然の中にぽつんと建っているマンダレイの屋敷が頭の中に忽然と湧いてくる。これが、この場所が本当の主人公なんだ、と思う瞬間です。
ヒッチコックが映画化したものは見た、と思い込んでいたんだけど、原作読んで「見てないな(´-ω-`)」と思い直しました。見たくなったなー。
['20/11/13追記]
ヒッチコックの映画も、Netflixオリジナル新作映画も見ました。
それらを見て気づいたことですが、原作ではマンダレイがどうして燃えたのか、書かれていないのですよね。だからこそあの容赦ないラストの切れ味がある。映画でそれがどう描かれたのかは、ぜひ見て確かめてください。「燃え盛るマンダレイ」の鮮烈さは、映像ならではだな、と思います。
(★★★★☆)
最終更新日 : 2020-11-13
Re: レベッカ
>Sさまコメントありがとうございます!
『レベッカ』と『ジェイン・エア』は当時の少女マンガではよくコミカライズされていた記憶があります。私は牧美也子さんの『ジェイン・エア』を何度も読みました。
『レベッカ』本当は新訳と比べたいとも思ったんですが、Kindle版がないんですよ。私がなるべくKindle版を買うのは、ひとえに置き場がないためで……泣く泣くあきらめました。恩田陸さんがネタバレ全開で解説書いてるんですよね。それも読みたかったんですが。
『アメジストの瞳』よかったですか! おすすめしたものをほめられるとやはりうれしいです(´∀ ` )。ありがとうございます。
おすすめ作品はさっそく買いました。ほんとKindleだとすぐに買えて便利です(´;ω;`)。
三原 白 http://miharashiro.blog5.fc2.com/URL [ 返信 * 編集 ]
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