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2020 · 02 · 20 (Thu) 15:11

ヒーローはまともじゃない?

『ハーレクイン・ロマンス 恋愛小説から読むアメリカ』を読んで以来、考えれば考えるほど「まともな人はロマンスのヒーローにはならない」としか思えない。
 ロマンスのヒーローみたいに「まともじゃない人」というのは、「高慢と偏見」を言葉どおりに持ち合わせ、モラハラ・セクハラ・パワハラなどなんでもいいけどハラスメント気質で、ヒロインの前でいつものように振る舞えないイライラを彼女に八つ当たり──つまり好きな子をいじめるガキっぽい性格ということ。ぶっちゃけ「クズ」って言っていい。最近はそうなった「理由」(機能不全家庭で育ったとかトラウマがあるとか)も書いてあって、一応フォローしていますけど。
 たまにまともな人もいる。「公平な人」ってくらいなんだけど、偏りがないというか、価値基準がブレない人は人間として大切で重要な長所ですから、それ以外の多少の欠点は目をつぶれますよ(それこそお互い様だし)。しかしこの程度の人もロマンスのヒーローには珍しい。そして、ヒーローのような性格の人が現実で本当の意味で改心するのも珍しい。全然ダメか、改心したように見えてもほとぼりが冷めると忘れるかくらいで──1回の恋愛で心を入れ替えられる人はほんとに希少と言っていい。ロマンスはそれを叶えるファンタジーなんだな。ありえないことが起こる、つまり奇跡の物語。
 でも、欠点のある人間が紆余曲折の末、心を入れ替えたり、成長したり、新しい生き方を選択するという物語は文学の王道ではある。しかしそのためには、「この人は心を入れ替えた」と読者が納得するような説得力が必要なんだよね。
 まあ、ロマンスはたいていそういう説得力は欠けている。それはもちろん、現実にそういうクズな男が心を入れ替えるケース自体に説得力が欠けているから、とも言えるのですが、ハーレクインあたりだと物語的な「仕掛け」を出せるほどのページ数がない、とも言える。説得力あるロマンスはある程度ページ数を重ねて、キャラの感情の変化を丁寧に描いてますからね。
 ロマンスはファンタジーですから、本当はそういう「仕掛け」が売りのエンタメ小説なのです。現実にこんなこと起こるわけない、とわかってても、「この物語の世界なら起こるかも」と読者に思わせる。まあ、フィクション全体そうなんですけど、ロマンスの問題は「現実には起こりそうもない」という実例が腐るほどあるところなのです。「それでも起こるかも」という可能性ももちろんありますけど、人間相手だとどうなるかさっぱりわかりませんよね……。
 ただね、フィクションの宿命として現実と混同する人(以前の記事)も出てくるわけですし、せめて心を入れ替えたことがわかるようにちゃんと描いてほしいよね。ヒロイン(まれにヒーロー)をいじめりゃいいんだろ、みたいな話にしてそのまま放りっぱなしってのはやっぱりいただけない。ぶっちゃけ、反省すべき人がちゃんと反省してほしいんだよ! 少なくとも!
 なぜそこを割愛する作品が多いのか──これはロマンスのある種の「謎」として考えていくべきことなのか?
 あとはやっぱり、最近のロマンスをもっと読むべきかしらね(´ω`;)。変わってきてるとは思うけど……。

[2/26追記]
 読み直して思ったけど、ぶっちゃけ「まともな人だけで話を回すのが難しい」ということなんだよなあ、と……。
 まともじゃない奴なら、物語の醍醐味である「思いがけない展開」が簡単に作れるんですよね。だって、まともな奴じゃないから、変なこと簡単にさせられる(´・ω・`)。
 まともな人しかいないのに「思いがけない展開」にするには、はっきり言って筆力が必要なんですよ……。前出の「仕掛け」に通ずるものでもあるかもしれない。「仕掛け」の一つに「ページ数重ねて」みたいなこと書きましたけど、別にそれだけじゃなく、「気の利いたプロット」なんかもありますからね。でも、プロットよりも丁寧な描写を心がけて説得力を出すとぶ厚くなりがち──海外ロマンスあるあるなんだろうか、と思ったり。
[Tag] * 資料用

最終更新日 : 2020-04-08

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