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2020 · 07 · 22 (Wed) 15:12

◆『最愛の人』ダイアナ・パーマー

◆『最愛の人』ダイアナ・パーマー(ハーレクイン)
 ティラがサイモンに初めて会った時、彼は結婚していた。サイモンは自分の親友ジョンをティラに紹介し、彼女はジョンと結婚する。その後、サイモンの妻が事故で亡くなり、ティラの結婚生活も破綻し、ジョンも死亡する。サイモンはジョンを死に追いやったのはティラのせいだと思っていた。("Beloved" by Diana Palmer, 1999)
・〈テキサスの恋〉シリーズ第16作

 もうテキサスの恋シリーズは、シリーズ関連の部分が出てきても気にしないことにしている(単に読んでも忘れている、あるいは読んでないか(´ω`;))。
 今回も既視感ある展開のお話です。ジョンの死には、ヒーローのサイモンも知らない事情があるんだけど、何も知らない彼はヒロインのティラがジョンを死に追いやったと信じ込んでいて、密かに彼女をさげすんでいる。冒頭でジョンから「おまえが僕の人生を壊した」と言われているのにも関わらず、です。
 そのことをサイモンからついに言われたティラは、翌朝、銃を手にベッドに横たわっているのを家政婦に発見される。空になった精神安定剤の瓶も転がっていて──。
 あとはお決まりの展開です。いくらか反省したように見えてもすぐに逆ギレするサイモンと、好きだからなあなあに許してしまうティラのいつものダイアナ節。
 ただ今回考えてしまったのは、ダイアナ作品の「ヒーローの親友」という存在です。いや、ダイアナのだけでなく、ロマンス小説で思い出せるものはいくつもある。「親友」と思っていた男に実はだまされていた、あるいは裏切られていた、「親友」と思っていたのはヒーローだけだった──みたいなのが多いな、と思いまして。
 一種の記号だよな、と思うわけです。本当の親友も出てきますけど、いわゆるこういう記号的な「親友」は読者にはわかりやすい。ヒーローはわからなくても、ヒロイン、あるいは他の人にはバレていることが多い。というか、ヒーローの盲信を強調する役目を担ってるんだよね。「彼女は悪女だ」とか「ふしだらだ」とかと同じことですよ。それを信じさせる存在であって、本当の友だちではないんだよね(´・ω・`)。
 いつも不思議に思うんだけど、「親友」だと思っていた人に裏切られたら、それは愛する女性や家族に裏切られたのと同じくらいのショックじゃない? もちろん、もっと枚数のある文庫のロマンスなどではそういうふうになりますけれど、ハーレのヒーローはほとんど気にしないんだよね。アホみたいに盲信していたくせに。そいつの言うことしか信じてないみたいな勢いだったのに。
 基本的に人を信じていない奴が多いので、当然っちゃ当然なんですけどね(´ω`;)。それにしても、ジョンから直接、

「おまえが僕の人生を壊した」

 と言われているのに、自分のせいとは微塵も思わないその図々しさ。自分のせいと思いたくなくて、ティラのせいにしているんだろうけど! そう考えるとひどさ上乗せだ。
 まあ、正確にはジョンの死はサイモンのせいではなく、ましてやティラのせいでもない。でも、ジョンの苦しみの理由を「親友」として何も知らなかったこと、打ち明けてもらえなかったことは、人間的にもっと深い罪悪感につながっていっていいんじゃないのか、と思いますよ。でも、この理由もまたロマンス的には「記号」なんですよね、時代的に……。
 昔は「記号」として軽々しく扱っていたものに意味を持たせるべきである、というのが今のフィクション業界では当たり前になりつつあります。もっと最近のロマンスを読まねば、と思いますね。文庫のロマンスでは当然配慮されているのが多いですが、やはりもっと制約の多いカテゴリロマンスではどうなのか、気になるところです。この作品でももう21年前か──しかし、こんなセリフもあるよ!

「ビスケットの焼き方はご自分で覚えることね」

 そうだよ、ビスケットくらい自分で作れ(゚Д゚)ゴルァ!!
(★★☆)

最終更新日 : 2020-07-22

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