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2020 · 08 · 01 (Sat) 10:05

▽『もう終わりにしよう。』イアン・リード

▽『もう終わりにしよう。』イアン・リード(ハヤカワ・ミステリ文庫)
 雪の降るある日、わたしは彼氏のジェイクと田舎道を車で走っていた。初めて彼の両親の家へ行く。つきあいだして間もなく、これが初めての遠出だ。これから何が起こるのか、もっとわくわくしていいはずなのに、わたしはそんな気分ではなかった。なぜなら、もう終わりにしようと思ってるから。("I'm Thinking Of Ending Thing" by Iain Reid, 2016)

 数日前、この作品の映画化についてのツイートを見まして。Netflixオリジナル作品で、「面白そうだな」と思ったので、原作をKindleで買って読みました。
 読んでいる最中、

「えっ、これハヤカワ・ミステリ文庫だけど、ミステリじゃないよね(´Д`;)。超怖いんだけど!」

 と思う。全体を覆うテイストはほぼホラーです。
 とはいえ、読み終わった段階では「え?( ゚д゚)ポカーン」というのが正直なところでした。そこで、作者のアドバイスに基づいて(これ変な文だけど、本当にそうなんですよ)、最初から読み返してみました。ただしじっくりと読み返すというより、作者が埋め込んだフラグみたいなものを頼りに文字通りの拾い読みを。Kindleなので、そういうポイントとなる言葉にマーカーをどんどんつけて(こういう点ではとても便利)。
 そしたら、全体像が次第に見えてきました。
 彼女の方が少し別れを意識しているカップル。二人で彼氏の田舎の実家へ行く。本当に辺鄙なところで、彼女はその実家と両親に不審な点や違和感を抱き、やはり「終わりにしよう」と思うけれど──というホラーとしては順当な滑り出しなのですが、なかなか思ったような方向には行かないのです。伏線がバシバシ決まる、というわけでもない。
 実は、「こういうラストじゃないかな」とは思ってました。それは当たっていた。しかし、読み返すとそれだけではないものが見えてくる。単純なトリックではなく、タイトル「もう終わりにしよう。」の意味が際立ってくるのです。
 私が思うに、主人公はこの物語をよすがにして生きてきたのではないかと。物語っていうか、まあぶっちゃけ「妄想」なんですけど。とはいえ、妄想はあなどれないですよ。単なる頭の中の空想でしかないのに、それを考えているだけで楽しく、毎日がクソみたいでもそれを考えている時は日々の苦しみを忘れられる。モンゴメリの『青い城』や、映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』などで描かれたように。
 でもある日、それが終わりに近いことを主人公は悟る。妄想が自分を支えてくれないことがわかってしまった。あまり楽しく思えなくなってしまったんだろうね。ネタ切れとか、同じことのくり返しだと気づいたとか。冷めてしまったのかもしれない。きっかけは──ない、という方が現実的かな。ただ限界を超えただけか。
 だから主人公は、この物語を「終わりにしよう」と思ったのです。楽しかった頃は、ずっと終わらない物語だと思っていたかもしれない。だが、それはどこまで行っても「妄想」でしかない、という絶望を覚えてしまったのかもしれない。その絶望感はつまり、想像力がなくなったということで、それは生きる気力を失うも同然なのですよね。
 本の冒頭に、こんなことが書かれていました。

「どう行動するかより何を考えているかのほうが、真実や現実に近いことがある」

 楽しい「妄想」の中の人生がずっと続かないなんて、気づかないでいたかったのであろう。しかし気づいてしまったから、

「もう、終わりにしよう」

 と主人公は言うしかなかったんだな。

 ──というのが私の解釈です。読んでないとよくわからないと思うし、読んでもわからないかもしれないね(´・ω・`)。細かい説明してもしなくても、ネタバレするしないも関係なく。
「物語をどう終わらせるか」というのがテーマのメタフィクション、と私は感じました。「どうやって終わらせようか」と考えた時に、「初めての帰省」という展開が降ってきたけど、それによって自分がどうしたいか、どう終わりたいかがわかったんじゃないかな。
 でも、現実は物語のようには終わらない。実際に何が起こったのか──というより、何が起こらなかったかと想像すると、切ない。ただただ切ないのです。
 どうやって映像化しているのかなあ、映画見るの楽しみだ。
(★★★★)

最終更新日 : 2020-09-06

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