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2021 · 09 · 22 (Wed) 14:44

▼『階上の妻』レイチェル・ホーキンズ

▼『階上の妻』レイチェル・ホーキンズ(ハヤカワ・ミステリ)
 高級住宅地ソーンフィールド・エステートでドッグウォーカーとして働くジェーン。ある日、ひときわ大きな屋敷から飛び出してきたスポーツカーとぶつかりそうになったジェーンは、運転していたエディ・ロチェスターに惹かれる。彼は新しく犬を飼い、ジェーンに仕事を頼む。彼は少し前に妻を亡くしたばかりだという。("The Wife Upstairs" by Rachel Hawkins, 2020)
(※『ジェイン・エア』(『ジェーン・エア』)、『レベッカ』のネタバレも含みます)

 ロマンスクラスタの方々に話題の『ジェイン・エア』翻案のサスペンスです。(この本での主人公の表記は「ジェーン」)
 本当なら原作を読み直した上でレビューした方がいいんでしょうが、それだといつ書けるかわからないので、拾い読みと記憶を頼りに書きます。ちゃんと読んだら、あとで追記するかも(持っているはずの原作が見つからないからKindle版を買い直す、というのがもはや定番になりつつある(´ω`;))。
『ジェイン・エア』大好きな私としては、冒頭の「ソーンフィールド・エステート」「ミセス・リード」というワードにさっそく反応。そして、ジェーンとエディの初めての出会いも同じような雰囲気……。犬はジェーンが連れていて、エディは車に乗っていますが。
 このあと、エディがジェーンと接点を持つために犬を飼うのですが、当然名前は「パイロット」だと思うじゃないですか。そしたらなんと、「アデル」なんですよ(゚д゚)! 驚愕しました。アデル(アデール)を! あの女の子を! 犬とは!
 ──しかし、原作のジェーンはアデルの家庭教師としてソーンフィールド屋敷にやってくるわけだから、ドッグウォーカーのジェーンがアデルの面倒を見るのは原作に則っている(?)のか──というか、つかみはバッチリだな。
 原作を読んでいると、ついつい違いを楽しむ方に目が行ってしまいます。エディの妻はもちろんバーサという名なんですが、その名がいやで「ビー」と名乗っている。会社経営をしていてかなりのやり手です。
「ジェーン」も「エディ(エドワード)」も「バーサ」も「今どきない名前」と言われていたけど、日本だとどんな名前を当てればいいのかな。シワシワネームとか言われちゃうような名前なんだろうか。シワシワネームってひどい言い方だよね……。
 それはさておき、ビーには幼い頃からの親友ブランチ・イングラム(原作だとロチェスターの婚約者じゃないかと言われているお嬢さんの名)がいる。彼女たちは二人で湖へ出かけ、ボートから転落して二人とも亡くなったとされているのです。
 貧しいジェーンは、ルームメイトのジョンのアパートから出て、なんとかエディの家に潜り込めないかと模索する。ジェーンの境遇もやはり、里親宅を転々としたり、ひどい養育親に当たったり。ジョン・リヴァースは幼い頃の養きょうだいというのかな。原作のあのセント・ジョンをこういうキャラにしちゃうか(´ω`;)。
 首尾よくエディの家に入り込むまでが第一部。しかし第二部は、語り手がビーに変わる。ジェーンとエディが出会う七ヶ月前、ブランチが死んだ翌日からの記録です。それによれば、ブランチは湖でエディに殺され、ビーは彼によって家の3階のパニックルームへ閉じ込められている。
 原作を読んでいれば、というよりタイトルからして『階上の妻』ですから、生きている妻が上の階にいることはバレバレなわけです。でもちょっと「生きてるの? 死んでるの?」と考えてしまったのは、『レベッカ』の雰囲気もあったから。しかしこの『レベッカ』自体も『ジェイン・エア』を元にした物語だと思うので、そこここにそう感じるのは無理ない。ただ、ビーは一応「死んでいる」のです。法律上は。生きているけど、死んでいることにしたエディの真意は?
 そこから次第に事件も動き始める。ジェーンが里親先から逃げた理由と本当の名前、上階から聞こえる謎の音、ビーとブランチの因縁、ブランチの夫トリップからの警告、そして湖から死体が発見される──。
「狂った妻」をどう描くか、というのが『ジェイン・エア』翻案の醍醐味だと感じました。『ジェイン・エア』自体の描き方はもうできないかもしれない。『レベッカ』はキャラ自体は非常に普遍的だけど、話の構造上、現代に舞台は移せない。『階上の妻』は時代関係なく、人の「狂気の種」と「次第に引き返せなくなる」過程を描く。それは「狂った妻」であるビーだけでなく、主人公ジェーンにも共通する資質──というより、環境に翻弄されていく人間の脆さがそこにある。
 原作で、ロチェスターに妻がいることを知ったジェーンは彼の元から去って、別の人生を歩もうとするが、結局彼のところへ帰るわけです。帰った方と帰らなかった方──それがジェーンとビーである、と私は読みました。ジェーンがあの生活を続けていたら、きっとビーのようになっていただろう。南部のセレブ奥様たちとの会話に無理して合わせるところとか、すごく神経すり減らすシーンだった。「嘘をつく」という行為のストレスって私はとても苦手なのですが、結局こういう気持ちばかりであと何が残るのさ(´・ω・`)、と思うからなのよね……。
 こういうまとめがありまして。

アメリカ人のドラえもんの評価で一番怖かったのは『アメリカならスネ夫とのび太は接点がないし話すらしないだろう』というものだった

 ジェーンとビーは、本来なら決して接点のない人間同士だったのだな、と思いました。でも、もしビーの環境がジェーンのようだったら──というか、二人を取り替えても話は変わらないんじゃないか、と思うのです。本質は同じ。二人は表裏一体。その真ん中にエディがいる。そして、彼も同類の人間なのです。
 少し変化球ながら、しっかりロマンスでもあります。これ読んだら、

「もしかしたら、ロマンチックサスペンスの元祖って『ジェイン・エア』なのでは?」

 と思ってしまいました。エンタメ的にも非常に強い要素がそろっていると気づいたよ。クライマックスの火事も欠かせないよね!
(★★★★)

最終更新日 : 2021-09-24

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