Top Page › 映画の感想 › 新作の感想(2022) › □『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』

2022 · 01 · 20 (Thu) 21:08

□『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』"Spider-Man: No Way Home" 2021(1/7公開)
「スパイダーマンの正体はピーター・パーカー」──世界中にそのことを知られ、あらぬ疑いもかけられたピーターは、恋人MJと親友ネッドにまでその影響を受けるに至り、ついに魔術師ドクター・ストレンジへ助けを求める。ストレンジは「すべての人からピーターの正体を忘れさせる」魔法を提案するが、ピーターが呪文の詠唱中に邪魔をしてしまい、魔法は失敗に終わる。(監督:ジョン・ワッツ 出演:トム・ホランド、ゼンデイヤ、ベネディクト・カンバーバッチ、ジェイコブ・バタロン、ジョン・ファブロー、ベネディクト・ウォン、マリサ・トメイ、他)
※重大なネタバレがあります。
※『スパイダーマン:スパイダーバース』のことにも触れていますが、こちらのネタバレはありません。

 公開日に見に行ったのですが、これだけの大ネタをバラす勇気がなく、書いた感想を少し寝かせました。(いつもたいていネタバレ記事ですが、今回は珍しく注意入れた)
 明日で公開2週間になるし、ネットニュースなどではネタバレ記事なども出てきたので、そろそろいいかしら……。
 ということで、ネタバレいやな方は、以降見てからお読みください。

 本国と公開時期がズレたので、なるべくネタバレを踏まないよう細心の注意を払って見に行きました。
 とても面白いです。それは間違いない。でも──いや、この場合の「でも」は否定ではありません。いろいろ考えさせられる。『スパイダーマン:スパイダーバース』を見た時みたいに。
 はっきり言って、映画を見た直後は割と冷静で、いや、今もそうなんですけど、なんというか、自分の深いところを静かにかき回され続けているという感じで……。
『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は、『スパイダーマン:スパイダーバース』と同じようにマルチバースを扱っていますが、『スパイダーバース』は「アメコミであるスパイダーマン」のマルチバースです。表現方法のマルチバースと言ってもいい(これにもまた心かき乱されました)。『ノー・ウェイ・ホーム』もスパイダーマンのマルチバースというところは同じなのですが、大きく違うのは「映画」という物語のマルチバースなのです。あ、本当はちょっと違うのかもしれないけど、私が受け取ったのはこういうことです。
 この「『映画』という物語のマルチバース」というのは、当然予告編などを見れば一目瞭然だし、はなから私自身もわかっていたことなのですけど、見終わって改めて考えると非常に心乱される(いい意味で)。フィクションなのにそこに生きている人みたいに見えてくるのは、映画という人間の演技を使った表現だからだろうか。
 ぶっちゃけますと、今までのスパイダーマンの映画(サム・ライミ版、アメイジング版)の主演俳優、トビー・マグワイアとアンドリュー・ガーフィールドがちゃんと出てくるんですよ。別の世界のスパイダーマン、ピーター・パーカー同士が三人で協力して戦う。
 二人が出るのか出ないのか、という話で公開前は持ちきりでしたが、どうやったってそうした方が面白くはなろうて、ということで、それを実現した製作側の尽力はいかばかりなものか、とつい労いが先に立ってしまいますが、なんというか──「夢の共演」という言葉がありますけれど、たいていそこまでのものなんてないんですよ(´ω`;)。たいてい言ってる側の自己満足でしかない。聞かされた方も「そんなもんだよね」くらいでね、そんなに期待なんてしないんです。
 でもこれはまさに、「夢の共演」だった! 二次創作の中にしか存在しないような世界の実現! ファンのためのものでしかない、と言われればそうなのかもしれないけど、長年愛されるシリーズほど、万人向けでありながらファンへの気配りも怠らないようになっている(スター・ウォーズのドラマ『マンダロリアン』とかがいい例ですね)。それはひとえに、そのシリーズを見て育った優秀なクリエイターがいるからこそ、なんだよね。
「あっちの世界で生きているはずのピーターたちは幸せだろうか」と考えた人たちが、トム・ホランド版を作っている、ということなんです。そんな世界のあちこちでそう考えている人たちに向けた物語。今はもういないみたいな扱いされてても、そんな人たちの心の中では生きているピーターたちの物語。
 でも、それだけでは終わらない。これがこの映画のすごいところ。
 最後に破格の力技で、スパイダーマンをMCUから引き剥がしてしまうのです。しかもその力技の根底には、スパイダーマンの本質である有名な言葉が存在する。

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」

 トム・ホランドのスパイダーマンが従来のより明るいキャラだったのは、この言葉を実感できる状況がまだなかったからとは──! これやりたいと言った人、許してくれた人、最後までやり通した人──許したのはマーベルのケヴィン・ファイギだろうけど、やっぱ太っ腹だね!
 最初からこの展開にするつもりだったのかな。だったらそれもすごい。出てこなかったということは、いつか大ネタとして使うつもりだった──ってこれもすごい伏線ではあるな。私、『スパイダーマン:ホームカミング』の感想で気づいてるぞ! でもすっかり忘れてた!
 とはいえ、想定していなかったとしても、そのおかげで生まれてくる物語もあるんだよね。それが「物語」の底力で、それを再確認した映画でもありました。
(★★★★☆)
[Tag] * ★★★★☆

最終更新日 : 2022-01-20

Comments







非公開コメント