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2022 · 02 · 11 (Fri) 20:19

●『春にして君を離れ』アガサ・クリスティー

●『春にして君を離れ』アガサ・クリスティー(ハヤカワクリスティー文庫)
 イギリスの田舎町に住むジョーンは、末娘バーバラの急病を見舞うため、バグダッドを一人訪れる。その帰り、乗るはずの列車が悪天候のために到着せず、トルコ国境の駅近くのレストハウスに足止めを余儀なくされる。何もすることのないジョーンは、これまでの自分の人生を振り返るが──。("Absent in the Spring" by Agatha Christie, 1944)

 アガサ・クリスティーがメアリ・ウェストマコット名義で出した「ロマンス小説」ですが、今どきのものとは違う、というのをもう一度説明しておく。かといって、『愛の旋律』のような大河ロマン的なものとも違う。
 何しろ主人公ジョーン(子供たちはすべて独立しているので、中年の域に達している)はただひたすらレストハウスでじっと列車を待っているだけだし、持ってきた本も読んでしまったし、手紙の便箋も切れてしまった。駅やレストハウスに売店もないから、あとは食事して寝て──せいぜい散歩くらいしかすることがないのです。だけど、何も考えずにそれらをこなすわけにはいかず、とりとめもなくいろいろなことが頭に浮かんでくる。
 とはいえ、実は彼女はそんな考え事をするようなたちではない。そうなんですよ。彼女は実は「何も考えていない人」なのです。自分の気分や規範だけを優先して行動するんですが、それが「周りのためになっている」と本気で思っている人なのです。すごく自信もあって、さらに言えば本当に悪気がない。だからこそたちが悪いとも言える人。なんか責められるとさめざめ泣いたりしてね(´ω`;)。相手に罪悪感を抱かせてけむに巻いて、あきらめて言うこと聞いたりすると、「ほらね、やっぱり私が正しかった」と悦に入る。
 そんな人が、どうしてそんな考え事をし始めたかというと、足止めを食う前に会ったかつての同級生から、娘バーバラに関する気になることを聞いたから。それをきっかけに、

「私はもしかして、誰のことも知らないのかもしれない」

 と考え始める。あ、いや、これは結論だった。ここに至るまで、彼女は夫、子供たち、友人たち、学校の先生などから言われた言葉を思い出し、その真意を見つけようとするのです。
 とにかく「悪気のない自分本位の人」を書くのがうますぎる。断片的に出てくるエピソード一つ一つのリアルさもさることながら、相手が彼女に対して行う言動や行動には、その裏にある「がっかり感」が透けて見える。彼女は気づいてないけどね。
 みんな彼女に対してがっかりしているというか、期待してないんですよね(´・ω・`)。「こういう人だから」とみんな思ってる。何を言っても響かないし、それをする価値もない、と。悪気がないから余計なんですよ。それって根本的にダメってことでしょ! ってさ。
 しかし、レストハウスで考え続けたジョーンは、ついにそれに気づくのです。特に夫に対しての仕打ちに罪悪感を抱く。謝らなきゃ! と思いながら、長い長い帰路に着くのです。物語の舞台は1930年代──第二次大戦前らしいので、列車の旅は長い。
 そしてラスト──自宅に戻り、夫に対面して彼女は何を言ったのか。
 私、こんなこと心の中で叫びましたよ。

「ええー、こんなラスト、ええええええ……面白いけど、ええ~、こんなラスト!!!!!!(´Д`;)」

 しかし、感想を書いていてわかった。クリスティーは、「いやな人」を書きたかったわけじゃなくて、「かわいそうな人」を書きたかったのだと。実際にラスト、そんなふうに書いてあるしね。なんかこう、そういう人に対して腹に据えかねることがあったんかな、と思いましたよ。
「かわいそうな人」は、確かにこういう結果になるよ。だから「かわいそうな人」なんだもん。今でももちろんいるよね、こういう人。身内にいると苦労するんだよ。
 それでも、悪い人じゃないんだよ。そこが限りなくめんどくさいところなんだよなあ……。

[9/24追記]
 この本の感想をネットで見ているうちに、ふと思った。私、ラストを誤解しているかも、と。
 私は主人公ジョーンが最後何も言わないのを「忘れた」からだと思っていたんだけど、割と「わざと言わなかった」という解釈が多かったので、最後のところを読み返したら、確かに「わざと言わなかった」という解釈の方が自然だったわ……。最後のセリフは「謝る」か、「このまま」か、という二つあって、どっちを言うかってちゃんと葛藤してた。そして結局「このまま」を選ぶ。
 わかりやすく書いてあるのに、なんで気づかないかな(´ω`;)>私
 ただ「かわいそうな人」という解釈は多分当たってる。何も起こっていないと思い込もうとしているかわいそうなジョーン。でも、夫や家族に憐れまれていると薄々わかるようになってしまったジョーン。自分が今まで持っていなかった「傷つく」という感情を手に入れて、その扱いに戸惑うしかないジョーン。とはいえ、今からすべてに向き合って状況を変えるのは無理だと思っているジョーン。そこまでのガッツはないジョーン。
「そこまでのガッツはないジョーン」というのが、この小説の肝なんだと思う。友人レスリーの一見強さに見えない強さとの対比だよね。というか、自分が何者なのかようやく悟ったということだ。誰も悪くないけど、彼女はこれからずっと傷つき続ける。今まで気づかなかった自分に対する嫌味や皮肉もわかってしまう。それらを避けられるただ一度のチャンスを、自ら手放したから。
 だけど、それこそ時間が経ったら忘れてしまうんじゃないか、とも思うんだよね、ジョーンみたいな人は。それとも、今まで傷ついたことがなかったから打たれ弱くて、かえってつらいのかなあ。どっちだろう? 傷つき続けるとしたら、ジョーン詰んでる。クリスティー、ひどい(´ω`;)。やはり逃げ道をつぶされている。その方がクリスティーらしいんだけど、そんなに簡単には変われないとどうしても思ってしまうんだよなあ。つらくて結局目をそむけるというのも含めてね。
(★★★★)

最終更新日 : 2022-09-24

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